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ももくん、と、お城と、お茶会と [おでかけ徒然]

先日の日曜日は、うたの県で催される春のお茶会としては規模が大きい「栄西茶会」が後楽園で行われました。

これは、京都・建仁寺を開いた栄西禅師が、吉備の国の生まれであったことと、中国・宋から茶の種を持ち帰り、茶の徳を説いた「喫茶養生記」を著し普及に努めたことから「茶祖」と呼ばれていることを讃え、毎年、この季節に、献茶が行われます。

この日も、京都から高僧の方が読経されるなか、献茶が行われたのですが、今年は、裏千家様のお当番だったので、うたはお席入りはしませんでした(^^;
 ※献茶とは、神や仏、故人を讃え、あるいは偲び、その方にお供えする為の特別なお点前です。

水辺のももくん


さて、この日は、久しぶりの好天と日曜日、茶会が重なったとあって、駐車場の確保が大変と思い、師匠との待ち合わせより、だいぶ早めに到着し、少し、河川敷を歩いてみました[るんるん] こういうイベントの時には臨時駐車場となる河川敷ですが、それでも家族連れなどが犬の散歩に来てたりして、街中の割りに長閑な佇まいです。

時間に余裕があるので、お散歩がてら、間近では見たことのない「水辺のももくん」を見に行ってみることにしました…と言うより、駐車場所が、すぐ近く、ということも有ったんですが(苦笑) 後楽園から、やや南に下った位置に「水辺のもも君」と愛称される、子供の姿をした銅像が建っておりまして、当然ながら、この像は桃太郎です(爆) だから、大きな桃を持ち上げているんですよ(A^^;)

建立された当時は、噴水が上がって、水浴びしているような姿だったのですが、県の財政事情が悪いため、最近は、ライトアップも、噴水も、滅多に行われません▼

栄西茶会 野点席

ようやく、待ち合わせ時間も迫ったので、後楽園正門前で師匠と落ち合い、裏千家様が行う献茶式の大行列を横目で眺め、表千家の茶席へ。

こちらも、その時間の割りには、かなりの「待ち」で、うたと師匠は、ちょっぴりズルして、席に入りました…とはいえ、それでも待つこと1時間!本来なら2席後だったことを思うと、これでも30分以上は短縮出来たんですよ[あせあせ(飛び散る汗)] 今回は、古備前の水指(みずさし)を、お道具に用いる為か、男性による「運び点前」でした。

その後、高校生や大学生などの茶道部の子達が、お点前をする野点席に。単に、正座疲れした、ということも有ったのですが、席数が多いだけに、早く入れるだろうという読みです(笑) 写真の空からも判るように、この晴天で、しかも日傘を忘れた、うたはキッチリと日焼けして参りました(爆) この野点席も、献茶と同じく、裏千家様だったので、表千家とは、多少、使う、お道具が違います。

さて、茶会に行ってるのに、全然、茶席の写真が無いじゃないか、と思われるかもしれません[あせあせ(飛び散る汗)] しかしながら、お茶席では、お道具の写真などは、お点前の後、来場した皆様への「拝見」という形で、撮影するのは一向に構わないのですが、お点前中は、大変な不作法とされております。プレスなどの特別な場合を除き、まず、撮影は出来ないんですよ…身内同士の気軽な茶会は別ですけとね(^^;

唯心山とお城を望む

なので、お道具の写真を掲載してもツマラナイでしょうから、後楽園の撮影スポットの一つ、園の築山である唯心山とお城、「沢の池」が入る場所から、茶席の待合いの間に撮影して参りました。この後、煎茶・源氏流の茶席を訪問して、やっと、この日の茶会を終えましたが、正直、疲れました(笑)

ひとつには、師匠と一緒だったことも有るのですが、とにかく、人出が凄い!! しかも、お師匠さんから、改めて、茶席の作法が悪い、と、お叱りまで受けて、ヘトヘトで帰宅しました(苦笑)
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蘭の祭典☆ [おでかけ徒然]

蘭の祭典 ガーデニング作品1
2日の金曜日、例によって、仲良しオジサマから、トンボに(急に)お誘いを受けて、おかやまドームで開催されている「蘭の祭典」に、お出掛けしてきました[るんるん]

この日は、オジサマの軽トラで行ったのですが、その駐車場への判りにくさと、前日の雨で水捌けの悪さに、Fit君で来なくて良かった、と思ったほど(^^; その上、結構な距離を歩かされまして…関係者車両なんて、すっごく良い場所なんですよ!入場料を取るんだから、もう少し、お客の事も考えて欲しい、と思わず不平が出ちゃいました▼

そもそもが作りの悪いドームなのですが、例年はコンベックスで開催されていたのが、今年は、コチラに移ってきたもの。そして、恥ずかしながら、うたは入場するのは初めてです(苦笑) 館内は、一歩、足を踏み入れた途端、むせかえるような蘭の香りで満ち溢れてました[かわいい]

蘭の祭典 県立高松農業園芸科学科作品

専門家や業者さんのガーデニング展示の中に、農業高校園芸科の生徒さんの作品もありました。高校生らしく、若々しく可愛らしい作品で、プロの目からすると、腕前は、まだまだな部分もあるのでしょうけど、ここまで育てる大変さを考えると、頑張ってるなぁ~!と感心して参りました。

蘭の祭典 ガーデニング作品2

蘭のお花で作られた、枯山水風のガーデンニングは、派手さは無いけど、それが、また良いと申しますか(^^; 大体において、蘭のお花、というと派手派手しいイメージが強かっただけに、ちょっと意外に感じた作品です。

蘭の祭典 東洋蘭金賞作品蘭というと、胡蝶蘭などの洋蘭を思ってしまいますが、楚々とした東洋蘭も素敵です♪ 写真は金賞作品ですが、エビネに近いお花が咲いていました。

とにかく、東洋蘭と、ひとくちに言っても、その種類は、非常に豊富と申しますか、蘭は交配がしやすい植生らしく、東洋蘭といえども、その例外ではないようです。名前を見ると違う種類らしいのですが、葉っぱを見ているだけだと、どこが違うんだろ?と思うほど似ています[あせあせ(飛び散る汗)] う~ん…お花が付いていたら、その差が気づけるのかしら??

さすがに、愛好家の方々が、丹精込めて可愛がったものだけに、いずれも甲乙つけがたしで、葉も美しく、ツヤツヤしております。なので、うたの目には、金賞も銀賞も、はたまた奨励賞も、その落差が判らなかったですねぇ(^^;

蘭の祭典 東洋蘭 奨励賞この作品は、古い日本瓦を鉢として使った、重厚な感じがするもの。瓦にまで苔が付いていて、いかにも年代を感じさせるものですが、鉢一つといえども、出品者の方の心意気を感じます。きっと、お花が咲いたら、この瓦の渋さが、引き立つんでしょうね[揺れるハート]




蘭の祭典 東洋蘭 賞作品群 いずれも小さな鉢植えの東洋蘭たちです。小さくても、ここまで育てるには、何年かはかかるそうで、その間の温湿度管理、水の管理などが大変だそうですが、それがまた楽しみなんですって☆ 

オジサマいわく、こういう蘭を育てる人は、ちゃ~んと温室を作って、盗まれんように気も配ってるから、育つんだそうな。つまり、横着者の、うたのような人間では、どう逆立ちしたって無理っていうことですね(苦笑)



蘭の祭典 洋蘭 金賞蘭の祭典 洋蘭 銀賞

続いてご紹介するのは、洋蘭部門です。麩入りの模様が怪しい美しさを放つ花が、金賞でした。そして、奇妙な形のお花を咲かせているのが、多分、銀賞だったと思うのですが、間違っていたらゴメンなさい。

蘭の祭典 洋蘭 銀賞蘭の祭典 洋蘭の部

こちらも、白い房のように咲いている蘭が銀賞作品。 右は、どういう風にしたら、こうなるのかは判りませんが、7年物ぐらいのお花で、わざと曲げて育てられたもの。 観賞用なので、こんな工夫のある育て方もするんですね☆

蘭の祭典 ハンギング・バスケット会場内には、蘭のお花を用いた、県内各流派による活け花の他、フラワー・アレンジメント、プリザード・フラワー、そして、写真のようなハンギング・バスケットと呼ばれる活け方などや、バラの写真展、園芸ショップの販売店などが、ところ狭しと、ひしめきあってました。

また、著名な園芸家を招いての講演会と、サイン会や、県内に生産工場を持つ自動車メーカーの新車試乗会と展示などもされていて、どういう関連かは判りかねるものの、パッチワークの展示会も同時に行われてました(A^^;)

屋台の米沢ラーメンくるっと回るだけでも、かなり時間が掛かったので、丁度、お昼過ぎとなったので、表で開催されていた諸国物産展で見つけた米沢ラーメンを食べて帰宅しました。

まぁ、屋台ですから、イマイチは否めないんですが、麺だけは、米沢ラーメンらしく縮み麺でした(苦笑) 味は鶏ガラスープの、サッパリ系で、米沢のラーメンの特徴は、ラーメンというより中華そば、という感じが中心なので、正統派らしい味でした☆

本当は、もっと撮影したかったのですが、何しろ、お誘いが急だったので、デジカメの電池が、途中で切れてしまい、残念なこととなりました▼ でも、まぁ、うたのようなヘタクソに撮影されても、蘭のお花たちも、嬉しくないかもしれませんね(笑)
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春の海、のたりかな [おでかけ徒然]

うららかな春の陽気に誘われて、ドライブがてら、伯母宅へ、お茶会のご案内状をお届けすることにしました…朝までは、午後から下水道の測量に業者が近辺を回っているので、来るかもしれないな、と思って待機していたのですが、お洗濯物を干しに庭に出たら、急に遊びに行きたくなりました(笑)

ブルー・ライン 片上大橋

思い立ったようにして出掛けたので、伯母に書状を手渡した後、どこへ行くというアテもなく、あぁ、そうだ!いつも同じ往復路じゃツマラナイな、と思い、ちょっと遠回りとなるブルー・ラインを走ってみることにしました[るんるん] 

一応、自動車専用道なのですが、高速ではなく、制限速度は60km[車(RV)] 尤も、誰も60kmでは走りませんが(苦笑) 前は、有料だったのですが、償却期間が終わったということで無料になりました。また、事故が多いことでも有名でしたね(^^;

上の写真は、このブルー・ラインの名所の一つ、片上大橋より虫明方面を望んだ写真です。確か、この橋は、夕陽の綺麗な場所、として有名だったと思います。

片上湾・山側


片上湾は、山から、すぐ浜がなく、海となるので、牡蠣の養殖に適した入江でもありまして、海に浮かんでいるのが、その牡蠣筏(かき・いかだ)です。この近くには、日生漁港や、虫明漁港なども有り、瀬戸内の豊かな海産物が、市場より安く、しかも新鮮な状態で手に入るので、結構、地元の人も買い出しに出掛けてきます。

これからの季節は、牡蠣が終わりを迎え、蝦蛄(シャコ)や穴子などが美味しい頃かな[るんるん]

片上湾・瀬戸内側


この先、虫明から邑久、市内と戻っても良かったのですが、またぞろ、ちょいと気が変わって、お友達へのホワイト・デーのお返しに、備前焼を買うことにしました(^^; ブルー・ラインを降りて、国道250号線を逆戻りして、備前伊部(いんべ、と読みます)に。この付近は、備前焼の窯元が、香登(かがと)に至るまで、何軒も有るのですが、今回は、うたのお気に入りのお店に行きました☆

備前焼ビアグラス・天野智也作写真は、今日のドライブのお土産です(笑) 永年、暮らしている割りには、自分用のビア・グラスを持ってなかったので、ちょっと贅沢に、自分へのご褒美として購入したモノ[あせあせ(飛び散る汗)] 

茶道具や、花瓶、酒器など、地元だけに、わが家にも幾つも有るのですが、何故だか、ビア・グラスだけ無い(^^; 水とは相性の良い備前焼ですが、ビールを注ぐと泡が、きめ細やかとなり、発泡酒も、美味しく呑める、と評判なんです[揺れるハート] まぁ、実際に贈った、うたの友達が言うんだから、満更、嘘でもないんでしょ(A^^;)

最近は、焼酎用デカンタ(焼酎の水割りを作って、保存瓶として使うもの)も人気だそうです☆ 

備前付近を、くるっと回って、約4時間半のプチ・ドライヴでしたが、ちょっとした気分転換となりました[かわいい]
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安全祈願のお祓いへ☆ [おでかけ徒然]

備前一宮・吉備津彦神社 本殿昨年の夏、病床の父に、最後のオネダリをして、新車を購入しました☆

これまで、中古で手に入れて乗っていた愛車・ターセル君が、調子が落ちてきたことに加え、丁度、秋に車検を迎えること、政府が、製造から13年以上の車をエコ・カーに乗り換えると、エコ・カー購入補助金25万円を頂けるということから、思い切って購入したもの[パンチ]

その後、父が亡くなり、喪も開けてからも、なかなか、お詣りする機会が作れなかったのですが、ようやく足を運んでまいりました[あせあせ(飛び散る汗)]

前の愛車・ターセル君も、ここ、備前一宮・吉備津彦神社で、安全祈願のお祓いを受け、お陰をもちまして、大きな交通違反に捕まることもなく、また、些細な自損事故は有ったものの大事に至らず、そのお礼も兼ねて、御札も一緒に納めて参りました[揺れるハート]

備前・一宮・吉備津彦神社 奥社写真上は、本殿正面の右半分。全体を写真に納めようと努力したのですが、これ以上、下がると、階段から転げ落ちちゃう(爆) 右手には、今年の干支の大きな絵馬が奉納されていました。

よく、観光案内などで登場する吉備津神社と間違われるのですが、実は、今回、お詣りした吉備津彦神社の方が、神様としては実は格上となります(A^^;) え~、どちらも、備前一宮でして、同じく神社庁の管轄とはいえ、神社にも、若干の神様の系統に違いが有りまして、出雲系だったり、三輪系、伊勢系だったり、します。

最近は「諸国一宮巡り」なるものが、高齢者を中心に、ささやかな人気だそうで、この日も平日の午前中にも拘わらず、まぁまぁの参拝客で賑わっておりました。 奥社となる付近には、桃の花が、後少しで満開という感じですが、ご神域を彩っておりました☆

備前一宮・吉備津彦神社・車祓い所 本殿で、祝詞とお祓いを受けた後、新車となるHONDAFit君のお祓いを、して頂きました☆ 写真は、お祓い前なので、ドアは閉じた状態ですが、お祓いの時には、4つのドアと、ハッチバックを開けて、お祓いして頂きました[るんるん]

因みに、うたの車のナンバーは、父とうたの誕生日の日にち…同じ7月生まれなので。もちろん、父の誕生日の方が前部分で、うたの誕生日が後です(^^; 惜しいことに、平仮名の部分には、姓の一文字目が欲しかったのですが、兄の名前の一文字目となってしまいました。

帰宅後、早速、頂いた御守りを、車内のサンバイザーに取り付け、御札は、リア・ウィンドウに、キーには、お守りキーホルダーを付けて、これからのドライブを安全に護って下さるように、改めて神様にお願いしておきました☆ 
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おひな同窓会(野崎家別邸) [おでかけ徒然]

迨暇堂(たいかどう) 額野崎家には、本宅から50mほど離れた場所に、茶室のついた別邸がありまして、「迨暇堂」(たいかどう)と呼ばれています。その大広間で、毎年、「お雛様同窓会」と銘打ったイベントが開催されます。

これは、市内各ご家庭で、大事に保存されているお雛様を一斉に飾って、観光客は無論、地元の方にも、自慢のお雛様を見て頂こう、という企画。

ずらり並んだ雛壇・右

額が掲げられた玄関を上がると、すぐ大広間で、え~、幾つ並んでいるだろうか(A^^;) 数えて来なかったので判らないのですが、相当数であることは確かです。百畳敷きの大広間ですから30組ぐらいでしょうか。

ずらり並んだ雛壇・左

所狭し、というは、こういう時に使う言葉なんでしょうね(苦笑) これだけ、きらびやかなお雛様が並ぶと、圧巻と申しますか、壮観です[exclamation]

江戸末期のお内裏様

お床の間には、今回の同窓会では、一番古い、江戸末期のお内裏様が飾られていました。出品者の方は、きっと、この付近の大庄屋さんか、大店の方だろうと思われます。きっと、内蔵などで大切に保存されてきたのでしょうね[揺れるハート]

押し絵 雛の屏風いわゆる段飾りの他、掛け軸をはじめ、いろいろな形のお雛様に因む飾り物がありまして、写真は押し絵で作られた雛屏風です。

お内裏様は、もちろん、左大臣、右大将、棹持ちに衛士が、細部に至るまで見事に表現されています。女雛の冠が、チョコっと、上の端から覗いているのが、また、アクセントとなっていて、素敵でした[揺れるハート]

パッチワーク・タペストリー雛同じく、この写真も、ちょっと見には、押し絵と同じように写真では見えますが、こちらは、パッチワークで作られたタペストリー。それぞれのお雛様のお召し物も、古代生地を使って、その趣きや風合いを活かした作品です。十二単などは、それは、それは見事な腕前をご披露なさっていらっしゃいます☆

うたも、若い時に、パッチワークに挑戦しましたが、形通りに縫い上げる、というのが、大変な上に、綿なんぞ使うものですから、結構、ひと針、指すのもチカラが必要で、針で指先が、おかしくなった覚えがあります(笑) このタペストリーのお雛様は、一体、一体を、本当に丁寧に仕上げていらして、作者の方のお雛様への思いが込められているようですね。


御所造りの雛壇

今では、一般的に、ぼんぼりと屏風という飾りが多いなか、昭和の30年代頃までは、こういった、御所造のお内裏様の段飾りが有りました。と説明してますが、実は、こういう雛壇を見たのは、うたも初めてでして、一緒に拝見した、小母様方から教えて頂きました(A^^;)

雛道具

これは、日本が豊かになって、お雛様のお道具も立派になってきた昭和40年代頃のものだと思います。うたのお雛様を父が購入した時、母が茶道具が無いのが残念、と言っていたのですが、中央付近に飾られているのが、その茶道具です。ちゃんと、茶筅やお釜、柄杓、水指(みずさし)などが置かれ、紹鷗棚(じょうおうたな)か袋棚に似た形の御棚に納まっていて、凝った作りです。

組み木細工のお雛様こちらは、倉敷の美観地区で製作・販売されている組み木細工のお雛様。右近の橘、左近の桜も、お花の部分を くり抜いて、はめ込む作りになっています。パステル調の色合いも優しく、木目のぬくもりもあって、素朴ですが、可愛らしい、お雛様です。

お茶席の時間が迫っていたので、じっくり落ち着いてカメラを構えている暇が無かったので、あまりデキの良い写真が無いこともあり、ご紹介できませんでしたが、他にも、大正時代末から昭和初期の市松人形や、元禄人形など、博多人形や、羽子板など、人形と名付くモノなら、何でもござれ、とばかりに、長い廊下などにも飾られておりました。



苔のお内裏様とぼんぼりこの後、茶席に入り、美味しい、お抹茶を戴きました[るんるん] 茶席の床の間にも、お雛様の掛け軸と、お雛様が飾られておりました。また、お道具も立派なモノばかりで、目の保養をさせて頂き、お裏さん(裏千家)のお作法も、じっくりと拝見させて頂きました。

お雛様とお茶を満喫した後、玄関を出る時、あれ?これもお雛様だ!と気付いた、水苔で作られたお内裏様☆これは、販売品でもありまして、ひと組、幾らか、お値段まで見てきませんでしたが、こういうお雛様を玄関に飾るのも、小粋で良いかもしれませんね[黒ハート]

この他、倉敷市内各地(美観地区・水島地区・真備地区・玉島地区)で、2月20日~3月7日まで、雛めぐりのイベントが開催されました。残念ながら、所用が多い時期と重なり、他の地区は、また来年までのお楽しみ、ということになりました(A^^;)☆
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野崎のお雛様 [おでかけ徒然]

旧野崎邸の岡蔵で、2~3月、展示される野崎家所蔵のお雛様です。いずれも、立派なお雛様で、内裏雛は勿論、お道具類に至るまで、それは、もう、贅沢なものが並んでいました(*^^*) その一部をご紹介しますね☆

ただし、ガラス越しなので、ときどき、映り込みが有りまして、少々、見苦しいのが残念ですけど…▼

明治天皇雛

明治天皇をかたどった内裏雛です。天皇陛下は公式洋装姿で、ハイカラな、お雛様となってますね[るんるん]

御所人形

可愛らしい御所人形が並んでいました☆ このお人形師は、明治時代の名匠と言われた大木平蔵だったと思います。

明治23年 古今雛

作者は不詳ながら、明治23年作の立派な内裏雛。 お雛様のお召し物が珍しいので撮影しました[カメラ]

明治の古今雛 永徳斎・作

明治初期に造られた、永徳斎・作の古今雛。臈長けたなかにも、可愛らしさのある、お顔立ちが、とても愛らしい、素敵な、お雛様です[揺れるハート]

朕曳き官女

最近の雛飾りでは、というより、うたは初めて見たのですが、犬を連れた官女です。三人官女というと、長柄銚子、加銚子、盃(三宝)と決まっていると思い込んでいたのですが、三人と決まっている訳ではなく、五人、七人という場合も有ったそうで、昔は、こんな官女も加えられていたのですね! 他に、花車を引く官女もおりました。

池田殿様拝領・享保雛

野崎家が、最も自慢している、お雛様が、この、備前・池田家の殿様から拝領したという享保雛です。1体が冠まで入れると、90cmはあろうかという大型の内裏雛です。 下から見上げると、笑ったような優しい、お顔立ちです、と説明にあったので、少し、屈んだ姿勢で撮影してみました。

お召し物も、ちゃんと、十二枚重ねた、十二単ですし、冠も、当時は金で輝いていたことでしょう…ハッキリとは判りかねましたが、真珠も飾られているようでした。当時のお殿様のお雛様としては、享保の改革を受け、質素倹約を心がけ、立派な造りではあるけれど、華美になりすぎす、シックな色合いのお雛様です。

能舞台 人形一式

他にも、琴を弾く町娘や、茶の稽古をする町娘歌舞伎役者の人形元禄人形翁と媼内裏雛などなど、がありまして、その中で、うたが、へぇ~!と感心したのが、能舞台を、まるまる写し取ったような能舞台のセット。

また、お雛道具類も、金蒔絵の重箱や、明治当時は高価だったろう、洋食器のままごとセット貝合わせのハマグリ、よく出来たミニチュアサイズの柘植クシや竹製の籠本桐製のタンスなども飾られてました。きっと、当時の野崎家のお嬢様方が遊ばれたのでしょうね[揺れるハート]

大切に保存され、愛されてきたことが判る、いずれも素晴らしい、お雛様たちでした(*^^*)v

 旧野崎家邸 公式サイト http://www.naikai.co.jp/J_MUSEUM.htm
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旧野崎邸 [おでかけ徒然]

これも、いささか古いネタとなりますが、お雛様の時期に合わせて、市をあげて、雛祭りイベントを行います。その中でも、旧野崎邸では、毎年、お茶会が開かれます。お稽古のお友達の小母様から、茶会の券を戴きましたので、足を運んできました(*^^*)v

入口よりシンボルの蔵を望む写真は、国指定重要文化財である旧・野崎本館の長屋門から、野崎のシンボルである蔵が一望できる庭からの長めです。 

野崎家は、製塩業と新田開発で財を成し、塩田王とも呼ばれた創業者・野崎武左衛門(ぶざえもん)が、天保から嘉永に至る年月を掛けて、次々と建築された民家。驚くなかれ[exclamation] 総敷地面積は約3000坪、建物延床面積1000坪近く、という広大なモノ。どうにも広すぎて、全貌を写真撮影するのは無理、という建物です(^^;

貴賓用 表玄関私たちが入門した長屋門の他に、門は幾つか有るのですが、御成門とよばれる門をくぐると、この表玄関に直行してます。この玄関は、殿様や家老といった賓客しか通さず、平素は閉じられていたそうです。

この玄関をくぐると、表書院に通されるそうで(当然ながら屋内は立入禁止なので^^;)竣工までに1年半もの歳月を要したと記録に残っているそうです。

表書院と雛飾り表書院は、上の間・下の間・茶室・玄関・相の間など有りまして、上の間は、本間12畳半、一間半の畳床と一間の違い棚、そして一間の付書院がありまして、この日の、お床は、お雛祭りに相応しく、内裏雛に、掛け軸もお雛様でした。

下の間は、15畳で、こちらにも一間半の床がありまして、この日は、裲襠(うちかけ)が2棹、飾られていました。二つの部屋を区切る欄間は、塩田に因み、波のうねりを象徴した、刳り形に、黒の縁取りをした意匠で、お部屋全体を爽やかな感じに見せているように感じました。

それに、お部屋の外には、一間の広縁、更に2尺5寸の濡れ縁付きで、縁側の先に手水場があるのですが、これも、水琴窟と呼ばれる、凝った作りとなっており、綺麗な音色が聴こえました。

茶室・臨池亭野崎邸には、母屋の他に、独立した3つの茶室がありましす。

ひとつ目は、表書院の前庭奥の築山に作られた、二畳台目の観曙亭(かんしょてい)と、呼ばれる茶室で、月見の宴などが開かれたそうです。

2つ目は、京都・大徳寺の国師・松月が名付けたという容膝亭(ようしつてい)は、裏千家の名席『又隠』(これで、ゆういん、と読みます)を忠実に模したものですが、躙口(にじりぐち)の位置だけ異なるという茶室。

そして、3つ目が臨池亭(りんちてい)という写真の茶室。枯山水の池の畔に建つので、こう名付られたそうです。いずれも、天保年間の建築で、当時、野崎家出入りだった、速水流家元の指導の下で作られたそうな。まぁ、お家元なんぞが出入りするだけでも、大層に裕福な家、ということが判りますが、その上に、この庭に、塩竃神社という祠まで有るんですから(^^;


中庭から向座敷を望む表書院を回って、露地を抜けると、臨池亭の手前に、いわゆる主屋と言いますか、武左衛門が平素、住まいした建物に出ます。

写真は、中座敷から向座敷を見通したモノで、何部屋あるんでしょうねぇ…しかも、どれも、8畳ぐらいは、最低でも有りそうですが、説明によりますと、総奥行きは、何と二十三間というから、約42mですね! 使用人も多かったとはいえ、毎日のお掃除となると、大変だったでしょうねぇ(A^^;)

写真で、チョコっと覗いている、電灯の笠は、明治時代に、庶民には縁がなかった、電気が通じた当時のままのモノだそうです。以前、何かの催しで利用された時、不注意にも掃除中に笠を割ってしまい、骨董商が全国を駆け巡り、似たモノを、やっと探し出したという、大騒動が有ったんですって(笑)

漬物部屋の様子主屋の裏手は、いわば、台所などがあって生活臭のする部屋となってます。軒を重ねるようにして、漬物部屋手洗い場風呂場味噌納屋などが建ってますした。

台所には、箱膳や、陶器製ゆたんぽ、家紋入り魚箱、かき氷鉋(かんな)など、TVの時代劇などでみる日用品が置かれてましたが、当時の一ヶ月の給銀って、幾らと思います?

元治元年(1864年)大工・上浜子(塩田監督員)は一両で、その他に、現物支給で、1日・米9合(休日は5合)味噌40匁(150g)醤油4勺(72cc)、1ヶ月・番茶2斤(1200g)漬物4斗樽(72L)と、野崎家の文書に残っているそうです。なので、こんな大きな漬物部屋が必要だったんですね☆


左より大蔵・書類蔵・新蔵・岡蔵最初の写真と同じく、蔵群を別角度から撮影したものです。左から、大蔵・書類蔵・新蔵・岡蔵、と呼ばれてます。他に、もう1棟、蔵がありまして、全部で、蔵と呼ばれるものは5棟。

現在、大蔵は、塩業歴史館として、岡蔵は、野崎家所有のお雛様の展示館として利用されています。このお雛様のことについては、次の記事とさせていただきますね☆ 

こうした大きな蔵のほか、野崎家は、旧宅から400mほど離れた場所に、1000坪のお庭がありまして、そこには、オベリスクのような、武左衛門を讃える塔が建っていて、地元では「野崎の記念碑」と言われてます。

野崎一族は、今でも県内で、製塩業のほか、建設業でも活躍中で、明治の頃には、JR児島駅を含む、このあたり一体を地所としていました。岩塩に押されがちな製塩ですが、某大手メーカーなどに卸して、ちょっと良い塩として販売されていますので、もしかしたら、このブログを読んでいらっしゃる方も、利用なさっていらっしゃるかもしれませんね[るんるん]

 旧野崎邸 公式サイト  http://www.naikai.co.jp/J_MUSEUM.htm
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