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旧野崎邸 [おでかけ徒然]

これも、いささか古いネタとなりますが、お雛様の時期に合わせて、市をあげて、雛祭りイベントを行います。その中でも、旧野崎邸では、毎年、お茶会が開かれます。お稽古のお友達の小母様から、茶会の券を戴きましたので、足を運んできました(*^^*)v

入口よりシンボルの蔵を望む写真は、国指定重要文化財である旧・野崎本館の長屋門から、野崎のシンボルである蔵が一望できる庭からの長めです。 

野崎家は、製塩業と新田開発で財を成し、塩田王とも呼ばれた創業者・野崎武左衛門(ぶざえもん)が、天保から嘉永に至る年月を掛けて、次々と建築された民家。驚くなかれ[exclamation] 総敷地面積は約3000坪、建物延床面積1000坪近く、という広大なモノ。どうにも広すぎて、全貌を写真撮影するのは無理、という建物です(^^;

貴賓用 表玄関私たちが入門した長屋門の他に、門は幾つか有るのですが、御成門とよばれる門をくぐると、この表玄関に直行してます。この玄関は、殿様や家老といった賓客しか通さず、平素は閉じられていたそうです。

この玄関をくぐると、表書院に通されるそうで(当然ながら屋内は立入禁止なので^^;)竣工までに1年半もの歳月を要したと記録に残っているそうです。

表書院と雛飾り表書院は、上の間・下の間・茶室・玄関・相の間など有りまして、上の間は、本間12畳半、一間半の畳床と一間の違い棚、そして一間の付書院がありまして、この日の、お床は、お雛祭りに相応しく、内裏雛に、掛け軸もお雛様でした。

下の間は、15畳で、こちらにも一間半の床がありまして、この日は、裲襠(うちかけ)が2棹、飾られていました。二つの部屋を区切る欄間は、塩田に因み、波のうねりを象徴した、刳り形に、黒の縁取りをした意匠で、お部屋全体を爽やかな感じに見せているように感じました。

それに、お部屋の外には、一間の広縁、更に2尺5寸の濡れ縁付きで、縁側の先に手水場があるのですが、これも、水琴窟と呼ばれる、凝った作りとなっており、綺麗な音色が聴こえました。

茶室・臨池亭野崎邸には、母屋の他に、独立した3つの茶室がありましす。

ひとつ目は、表書院の前庭奥の築山に作られた、二畳台目の観曙亭(かんしょてい)と、呼ばれる茶室で、月見の宴などが開かれたそうです。

2つ目は、京都・大徳寺の国師・松月が名付けたという容膝亭(ようしつてい)は、裏千家の名席『又隠』(これで、ゆういん、と読みます)を忠実に模したものですが、躙口(にじりぐち)の位置だけ異なるという茶室。

そして、3つ目が臨池亭(りんちてい)という写真の茶室。枯山水の池の畔に建つので、こう名付られたそうです。いずれも、天保年間の建築で、当時、野崎家出入りだった、速水流家元の指導の下で作られたそうな。まぁ、お家元なんぞが出入りするだけでも、大層に裕福な家、ということが判りますが、その上に、この庭に、塩竃神社という祠まで有るんですから(^^;


中庭から向座敷を望む表書院を回って、露地を抜けると、臨池亭の手前に、いわゆる主屋と言いますか、武左衛門が平素、住まいした建物に出ます。

写真は、中座敷から向座敷を見通したモノで、何部屋あるんでしょうねぇ…しかも、どれも、8畳ぐらいは、最低でも有りそうですが、説明によりますと、総奥行きは、何と二十三間というから、約42mですね! 使用人も多かったとはいえ、毎日のお掃除となると、大変だったでしょうねぇ(A^^;)

写真で、チョコっと覗いている、電灯の笠は、明治時代に、庶民には縁がなかった、電気が通じた当時のままのモノだそうです。以前、何かの催しで利用された時、不注意にも掃除中に笠を割ってしまい、骨董商が全国を駆け巡り、似たモノを、やっと探し出したという、大騒動が有ったんですって(笑)

漬物部屋の様子主屋の裏手は、いわば、台所などがあって生活臭のする部屋となってます。軒を重ねるようにして、漬物部屋手洗い場風呂場味噌納屋などが建ってますした。

台所には、箱膳や、陶器製ゆたんぽ、家紋入り魚箱、かき氷鉋(かんな)など、TVの時代劇などでみる日用品が置かれてましたが、当時の一ヶ月の給銀って、幾らと思います?

元治元年(1864年)大工・上浜子(塩田監督員)は一両で、その他に、現物支給で、1日・米9合(休日は5合)味噌40匁(150g)醤油4勺(72cc)、1ヶ月・番茶2斤(1200g)漬物4斗樽(72L)と、野崎家の文書に残っているそうです。なので、こんな大きな漬物部屋が必要だったんですね☆


左より大蔵・書類蔵・新蔵・岡蔵最初の写真と同じく、蔵群を別角度から撮影したものです。左から、大蔵・書類蔵・新蔵・岡蔵、と呼ばれてます。他に、もう1棟、蔵がありまして、全部で、蔵と呼ばれるものは5棟。

現在、大蔵は、塩業歴史館として、岡蔵は、野崎家所有のお雛様の展示館として利用されています。このお雛様のことについては、次の記事とさせていただきますね☆ 

こうした大きな蔵のほか、野崎家は、旧宅から400mほど離れた場所に、1000坪のお庭がありまして、そこには、オベリスクのような、武左衛門を讃える塔が建っていて、地元では「野崎の記念碑」と言われてます。

野崎一族は、今でも県内で、製塩業のほか、建設業でも活躍中で、明治の頃には、JR児島駅を含む、このあたり一体を地所としていました。岩塩に押されがちな製塩ですが、某大手メーカーなどに卸して、ちょっと良い塩として販売されていますので、もしかしたら、このブログを読んでいらっしゃる方も、利用なさっていらっしゃるかもしれませんね[るんるん]

 旧野崎邸 公式サイト  http://www.naikai.co.jp/J_MUSEUM.htm
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玩具屋さん

総敷地と建物延床の面積を知って、思わず Σ(゚д゚;) ビックリ!! これだけ広いとなると、確かに写真を撮るのも大変ですね(^-^;A 建物の佇まいや中の造りの写真を見てると、自然と気持ちが落ち着きます(^-^*) 当時 電灯の笠を割ってしまった人は、きっと顔も青ざめて大慌てだったでしょうね(^▽^; でも何とか似た物が見つかって良かった~w
by 玩具屋さん (2010-03-12 11:45) 

うたかたの幻

>玩具屋さん様
こういう純粋な和風建築っていうのが、今では珍しくなりましたからね(^^;
普通は、大体、角度を変えると、おおよそ母屋は構図として入るんですけどね。

by うたかたの幻 (2010-03-13 09:10) 

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